ヴィンチェンツォ・ニバリ

ヴィンチェンツォ・ニバリ
Vincenzo Nibali
基本情報
本名 Vincenzo Nibali
ヴィンチェンツォ・ニーバリ
愛称 海峡のサメ (lo squalo dello Stretto)
生年月日 (1984-11-14) 1984年11月14日(39歳)
国籍 イタリアの旗 イタリア
身長 181cm
体重 65kg
選手情報
所属 アスタナ・カザフスタン・チーム
分野 ロードレース
役割 選手
特徴 オールラウンダー
プロ経歴
2005
2006–2012
2013–2016
2017–2019
2020–2021
2022
ファッサ・ボルトロ
リクイガス
アスタナ・プロチーム
バーレーン・メリダ
トレック・セガフレード
アスタナ・カザフスタン・チーム
グランツール最高成績
ジロ・デ・イタリア 総合優勝 (2013, 2016)
ツール・ド・フランス 総合優勝 (2014)
ブエルタ・ア・エスパーニャ 総合優勝 (2010)
合計 4(伊2・仏1・西1)
主要レース勝利

ツール・ド・フランス

総合優勝 2014
区間通算6勝

ジロ・デ・イタリア

総合優勝 2013, 2016
区間通算5勝

ブエルタ・ア・エスパーニャ

総合優勝 2010
コンビネーション賞 2010
区間通算2勝
ティレーノ〜アドリアティコ 2012・2013
ジロ・ディ・ロンバルディア 2015・2017
ミラノ〜サンレモ 2018
GP西フランス・プルエー 2006
ジロ・デル・トレンティーノ 2008・2013
最終更新日
2022年5月12日

ヴィンチェンツォ・ニバリ(Vincenzo Nibali、1984年11月14日- )は、イタリアメッシーナ出身の自転車競技選手。ニーバリとも表記される。史上6人目の全グランツール総合優勝達成者。愛称は『海峡のサメ (lo squalo dello Stretto)』。誕生日の11月14日はベルナール・イノーと同じ (イノーが30年早く生まれている)。弟のアントニオ・ニバリも自転車競技選手である。

経歴

2005年、ファッサ・ボルトロと契約を結んでプロ転向。

2006年、リクイガス(後の リクイガス・キャノンデール)に移籍。

2007年、初出場を果たしたジロ・デ・イタリアの第1ステージ・チームタイムトライアルにおいて、チームの区間優勝に貢献。総合19位に入る。

2008年、初出場のツール・ド・フランスでは総合20位に入った。

2009年、ツール・ド・フランスでは山岳ステージで健闘を見せ、総合7位。新人賞部門では2位に入った。

2010年、フランコ・ペッリツォッティのドーピング疑惑により急遽の出場となったジロ・デ・イタリアでは、第14ステージを勝利。また第4ステージから第6ステージまでマリア・ローザを着用し、総合3位に入った。

ブエルタ・ア・エスパーニャ総合優勝

2010年、ジロ・デ・イタリアで総合3位を獲得後、ツール・ド・フランスには参加せず、ブエルタ・ア・エスパーニャに照準を定めることになった。第8ステージ終了時点で、総合首位のイゴル・アントンにわずか2秒差の総合3位に浮上。アンドラのバルノリュがゴールの第11ステージではアントンに完敗し45秒に差を広げられるが、総合2位へと浮上した。そして転機が第14ステージにやってくる。

同ステージ残り約6.5km地点でアントンが転倒。右肘骨折のため途中棄権となってしまった。ニバリは区間優勝のホアキン・ロドリゲスに20秒差の区間2位で入り、総合ではロドリゲスに4秒差ながらも首位に立った。その後、第16ステージでロドリゲスに総合首位の座を明け渡したが、第17ステージの個人タイムトライアルにおけるロドリゲスの大ブレーキにより、総合2位に浮上したエセキエル・モスケラに39秒差をつけ再び総合首位へ。最後のクライマックスとなった山岳コースの第20ステージでは、モスケラの再三のアタックを封じ、区間優勝をモスケラに譲ったものの、1秒差の区間2位でゴールし決着をつけた。結果、区間優勝は一度も経験できなかったが、ブエルタ初出場で総合優勝(コンビネーション賞も獲得)を成し遂げた。

ツール・ド・フランス2012にて

2012年、ティレーノ〜アドリアティコ では第5ステージで勝利。第6ステージ終了時点で、総合首位のクリス・ホーナーに対し5秒差の同2位だったが、最終第7ステージの個人タイムトライアルでホーナーに20秒の差をつけ逆転し、劇的な総合優勝を果たした。また、ポイント賞も獲得。3年振りの出場となったツール・ド・フランスではチームスカイブラッドリー・ウィギンスクリス・フルームのコンビに苦しむも、総合3位に入った。

ジロ・デ・イタリア総合優勝

2013年、アスタナへ移籍。ティレーノ〜アドリアティコではクリス・フルームアルベルト・コンタドールを抑え総合2連覇を達成。好調のまま迎えたジロ・デ・イタリアではブラッドリー・ウィギンスカデル・エヴァンスなどとともに総合優勝候補に推された。第7ステージでライバルのウィギンスが1分24秒を失うも、翌日の個人タイムトライアルでウィギンスはステージ優勝したアレックス・ダウセットに10秒遅れのステージ2位に入る。対するニバリはダウセットから21秒遅れ、ウィギンスから11秒遅れに留め、ここで総合首位に浮上する。ところがウィギンスは第12ステージで3分17秒遅れてしまい、完全に総合争いから脱落。ウィギンスは翌日出走しなかった。これにより総合争いのライバルはエヴァンスとウィギンスのアシストであったリゴベルト・ウランとなるも、第14ステージでライバルを引き離しステージ2位に入ったことで総合2位エヴァンスへのリードは1分26秒に拡大。そして第18ステージの20.6kmの山岳個人TTでステージ2位のサムエル・サンチェスに58秒の差をつけ圧勝。ここでエヴァンスは総合で4分2秒遅れ、ウランは4分12秒遅れと事実上ここで総合優勝を確定させたも同然の差をつける。トレチーメ・ディ・ラヴァレードへの頂上フィニッシュとなった第20ステージでも残り3kmから独走し勝利。自身初のジロ総合優勝を果たした。

ツール・ド・フランス総合優勝

2014年、ツール・ド・フランス初制覇を懸け出場。しかし、開幕前はクリス・フルームアルベルト・コンタドールの2強に注目が集まっており、ニバリは「第3の男」の位置付けだった。もっとも、ニバリは今シーズンツールに向けてフランス国内で開催されるステージレースを走ってきたが、特にこれといった成績を残すことができなかったことも影響していた。が、9つの山岳を超える丘陵コースである第2ステージの最終盤にアタック。後続集団は牽制ムードになり、ニバリは逃げ切り勝利を飾りマイヨ・ジョーヌも獲得。ところが石畳を走る第5ステージ途中にフルームが両手を骨折しリタイア。もう1人のライバル、コンタドールは第8セクターのエンヌヴラン・ポンティボーで遅れだす。MTB出身のニバリが快調に石畳を進む一方、コンタドールは更に遅れていき、最終的にニバリはステージ3位に入りリードを拡大したものの、コンタドールはステージ優勝したラース・ボームから2分54秒も遅れてフィニッシュ。総合でもトップ10圏外となった。ヴォージュ山脈を前にした第9ステージの終了後にニバリはトニー・ガロパンにマイヨを譲ったものの、続く第10ステージでステージ2位に15秒差をつけ優勝しマイヨを奪取する。コンタドールは1級山岳プティ・バロンの下りで落車し右脛骨を骨折。リタイアとなった。その後の第13ステージではフルームに代わりスカイのエースとなっていた暫定総合2位のリッチー・ポートが大失速。ポートの失速を傍目にニバリは残り7km地点でアタック。すぐに先頭を走るラファウ・マイカレオポルド・ケーニッヒに合流、残り3kmでアタックしたわけでもなくニバリが抜け出すとそのまま押し切って3勝目をあげる。総合でも2位に浮上したアレハンドロ・バルベルデに対し3分37秒差をつけた。第18ステージでは残り10kmでアタックした昨年のブエルタ覇者のクリス・ホーナーに唯一合流。昨年そのブエルタでホーナーに惜敗したニバリはペースが上がらないとしてすぐさまホーナーを千切り、先頭を行くミケル・ニエベも残り8kmで追い抜き独走。今大会4勝目をあげ、総合2位ティボー・ピノに7分10秒もの差をつけ勝負の第20ステージへ。個人TTを得意とするニバリはこの日もライバルたちを一蹴。トップから1分58秒遅れのステージ4位に入り、結果的に逆転で総合2位を獲得したジャン=クリストフ・ペローに対し7分37秒もの圧倒的な差をつけイタリア人として1998年マルコ・パンターニ以来16年振りの個人総合優勝を成し遂げ[1][2]、同時に史上6人目のグランツール完全制覇達成者となった。

ツールでの不振とブエルタでの失格

2015年、イタリア国内選手権を連覇し、こちらも連覇の懸かるツール・ド・フランスに出場。しかし第2ステージでティンコフ・サクソが仕掛けた横風分断作戦に嵌ってしまい、更にパンクと出遅れてしまう。大会最初の本格山岳ステージとなった第10ステージではステージ優勝したクリス・フルームから4分以上ものタイムを失ってしまう。第19ステージでは途中メカトラブルが起きたフルームに対して紳士協定を無視してアタックを仕掛け、そのまま先頭を走っていたピエール・ロランと合流、協調して集団を引き離す。その後ローランを置き去りにし、逃げ切り勝利を収めた。翌第20ステージではパンクで遅れてしまい、連覇は逃したものの総合4位と区間1勝という成績を残した。続くブエルタ・ア・エスパーニャでは第2ステージで落車し、集団復帰する際にチームカーに掴まって引き上げられたことを理由に失格となった。ジロ・ディ・ロンバルディアでは最終盤の下りで鋭いアタックを仕掛けて独走勝利。シーズン5勝目を上げた。[3]

2度目のジロ総合優勝

2016年、ジロ・デ・イタリアでは序盤〜中盤にかけて不調に喘いでいたが、チマ・コッピを越える頂上ゴールの第19ステージにおいて、当初総合で2位以下に3分以上の差をつけて独走していたステーフェン・クラウスヴァイクが落車し肋骨を骨折。これにより総合争いは一気に混沌化し、ニバリはこのステージを制して2位に浮上すると、次の山岳第20ステージでもアタックを成功させ総合首位に立ち、2度目の総合優勝を達成した。

ツール・ド・フランスではツール初出場のチームエースファビオ・アルのアシストに徹しながら、随所でステージ優勝を狙う積極果敢な動きを見せ、総合30位で完走した。リオオリンピックでは終盤先頭に立ちメダル獲得の期待も高まったがダウンヒルでセルヒオ・エナオとともに落車してしまい、メダルは獲得ならなかった。

バーレーン・メリダを率いて

新チームバーレーン・メリダのエースとして移籍[4]。連覇を懸けて臨んだジロ・デ・イタリアではクイーンステージである第16ステージでミケル・ランダとのマッチスプリントを制してステージ優勝。このステージで総合首位だったトム・デュムランが雉撃ちによる大ブレーキを余儀なくされ、デュムランとのタイム差2分を一気に縮めることに成功。第19ステージのピアンカヴァッロの登りでデュムランが遅れたため総合首位ナイロ・キンタナに移動。キンタナとのタイム差を最小限に保ちつつ第21ステージの個人タイムトライアルを迎える。キンタナとのタイム差は39秒で、ニバリの実力ならば逆転可能なのだが、デュムランに対するキンタナのリードは1分もなかった。デュムランはステージ優勝したヨス・ファン・エムデンに続くステージ2位でフィニッシュし、キンタナとニバリはデュムランに押し出される形でそれぞれ1つずつ順位を下げた。

ツールをパスして臨んだブエルタでは、第3ステージで優勝。その後は堅実な走りに徹し、レース中盤で総合2位に浮上。逆転総合優勝を狙った第20ステージではアングリルの前の峠の下りで落車。メイン集団には追いついたものの、落車の影響でじわじわ離されていく。そして、総合首位クリス・フルームの先行を許してしまい、総合2位となった。しかし、ジロ・ディ・ロンバルディアではその雪辱を果たすプロ通算50勝目をあげた。

2018年、迎えた春の大一番・ミラノ〜サンレモでは、2008年大会のファビアン・カンチェラーラ以来の同大会における独走勝利を収め、ショーン・ケリーに続くロンバルディア・サンレモの連続優勝を成し遂げた。

2年ぶりの出場となったツール・ド・フランスでは、大会序盤の落車や石畳区間を無難に乗り切り総合成績でも一時4位につけていたが、第12ステージに登場したラルプ・デュエズの登りで観客と接触し落車。ステージは完走したものの骨折が判明しリタイアとなった。

2019年、ジロ・デ・イタリアでは優勝候補の一角と目されていたが、リカルド・カラパスに次ぐ総合2位の結果に終わった[5]。続いて出場したツール・ド・フランスでは総合優勝争いに絡むことこそなかったが、荒天のため短縮された第20ステージで逃げ切り、ミラノ〜サンレモ以来1年4カ月ぶりの勝利を挙げた[6]

トレック・セガフレード時代

2020年シーズンは自身の出身国であるイタリアのセガフレード・ザネッティ社がセカンドスポンサーに就いているトレック・セガフレードに移籍した。

しかしジロ・デ・イタリアでは4度のステージ一桁順位こそ記録したが、3週目でタイムを大きく失い総合優勝から8分15秒遅れの総合7位に終わった。ジロのみならずシーズンを通して成績が急激に悪化した訳ではなかったものの、プロ1年目の2005年以来となる年間0勝に終わった。

2021年シーズンはトレーニング中の落車で右手を骨折した中、ジロ・デ・イタリアではサポーターを着用して出場し、総合18位で完走した。シーズン終盤に開催されたジロ・ディ・シチリアでは最終ステージで2位に49秒差をつけてトレックに移籍後初優勝を果たした。これにより、2017年のツアー・オブ・クロアチア以来となるステージレースの総合優勝を総合10位からの逆転で達成した。

アスタナ復帰

2022年、アスタナ・カザフスタン・チームに移籍。6年ぶりの古巣復帰となった。

5月11日、出身地メッシーナがゴール地点に設定されたジロ・デ・イタリア第5ステージ終了後、2022年シーズンでの引退を発表した[7]

主な戦績

2002年

2004年

2006年

2007年

2008年

2009年

2010年

2011年

2012年

2013年

2014年

2015年

2016年

2017年

2018年

2019年

2021年

  • ジロ・ディ・シチリア(英語版) 総合優勝(第4ステージ優勝)

グランツールの総合成績

グランツール 2007 2008 2009 2010 2011 2012 2013 2014 2015 2016 2017 2018 2019 2020 2021
ジロ・デ・イタリア 19 11 3 2 1 1 3 2 7 18
ツール・ド・フランス 20 6 3 1 4 30 DNF 39 DNF
ブエルタ・ア・エスパーニャ 1 7 2 失格 2 59

脚注

  1. ^ クリス・フルームアルベルト・コンタドールの落車リタイアもあり優勝した、と言われたくないと本人は語っている。
  2. ^ ニーバリ「過酷なステージでワンダフルな勝利。ツールの主役を失って残念だ」 - ツール・ド・フランス2014第10ステージ 選手コメント - cyclowired.jp 2014年7月15日付
  3. ^ 現在グランツール完全制覇とモニュメント優勝を果たしているのは、ジャック・アンクティルフェリーチェ・ジモンディエディ・メルクスベルナール・イノー、ニバリの5名のみ。
  4. ^ ヴィンチェンツォ・ニーバリ移籍
  5. ^ [1] ジロ・デ・イタリア2019で南米エクアドルのカラパスが総合初優勝
  6. ^ ニバリが渾身の逃げ切り ベルナルは総合リード守ってマイヨジョーヌ獲得へ
  7. ^ “Vincenzo Nibali announces retirement at end of 2022”. cyclingnews (2022年5月12日). 2022年5月12日閲覧。
  8. ^ アルベルト・コンタドールのドーピング違反による繰り上がり

外部リンク

  • 公式サイト(イタリア語)
  • ヴィンチェンツォ・ニバリのプロフィール - ProCyclingStats
  • ヴィンチェンツォ・ニバリ - サイクリングアーカイヴス(英語)
  • ヴィンチェンツォ・ニバリ - Olympedia(英語) ウィキデータを編集
   




1903  フランスの旗  モリス・ガラン
1904  フランスの旗  アンリ・コルネ
1905  フランスの旗  ルイ・トゥルスリエ
1906  フランスの旗  ルネ・ポティエ
1907  フランスの旗  ルシアン・プティブルトン
1908  フランスの旗  ルシアン・プティブルトン
1909  ルクセンブルクの旗  フランソワ・ファベール

1910  フランスの旗  オクタヴ・ラピーズ
1911  フランスの旗  ギュスタヴ・ガリグー
1912  ベルギーの旗  オディル・ドフレイエ
1913  ベルギーの旗  フィリップ・ティス
1914  ベルギーの旗  フィリップ・ティス
1915  ×   第一次世界大戦
1916  ×   第一次世界大戦
1917  ×   第一次世界大戦
1918  ×   第一次世界大戦
1919  ベルギーの旗  フィルマン・ランボー

1920  ベルギーの旗  フィリップ・ティス
1921  ベルギーの旗  レオン・シウール
1922  ベルギーの旗  フィルマン・ランボー
1923  フランスの旗  アンリ・ペリシエ
1924  イタリア王国の旗  オッタビオ・ボテッキア
1925  イタリア王国の旗  オッタビオ・ボテッキア
1926  ベルギーの旗  ルシアン・ビュイス
1927  ルクセンブルクの旗  ニコラ・フランツ
1928  ルクセンブルクの旗  ニコラ・フランツ
1929  ベルギーの旗  モリス・デワール

1930  フランスの旗  アンドレ・ルデュック
1931  フランスの旗  アントナン・マーニュ
1932  フランスの旗  アンドレ・ルデュック
1933  フランスの旗  ジョルジュ・スペシェ
1934  フランスの旗  アントナン・マーニュ
1935  ベルギーの旗  ロマン・マース
1936  ベルギーの旗  シルヴェール・マース
1937  フランスの旗  ロジェ・ラペビー
1938  イタリア王国の旗  ジーノ・バルタリ
1939  ベルギーの旗  シルヴェール・マース

1940  ×   第二次世界大戦
1941  ×   第二次世界大戦
1942  ×   第二次世界大戦
1943  ×   第二次世界大戦
1944  ×   第二次世界大戦
1945  ×   第二次世界大戦
1946  ×   第二次世界大戦
1947  フランスの旗  ジャン・ロビック
1948  イタリアの旗  ジーノ・バルタリ
1949  イタリアの旗  ファウスト・コッピ

1950  スイスの旗  フェルディナント・キュプラー
1951  スイスの旗  ユーゴ・コブレ
1952  イタリアの旗  ファウスト・コッピ
1953  フランスの旗  ルイゾン・ボベ
1954  フランスの旗  ルイゾン・ボベ
1955  フランスの旗  ルイゾン・ボベ
1956  フランスの旗  ロジェ・ワルコヴィアック
1957  フランスの旗  ジャック・アンクティル
1958  ルクセンブルクの旗  シャルリー・ゴール
1959  スペインの旗  フェデリコ・バーモンテス

1960  イタリアの旗  ガストネ・ネンチーニ
1961  フランスの旗  ジャック・アンクティル
1962  フランスの旗  ジャック・アンクティル
1963  フランスの旗  ジャック・アンクティル
1964  フランスの旗  ジャック・アンクティル
1965  イタリアの旗  フェリーチェ・ジモンディ
1966  フランスの旗  ルシアン・エマール
1967  フランスの旗  ロジェ・パンジョン
1968  オランダの旗  ヤン・ヤンセン
1969  ベルギーの旗  エディ・メルクス

1970  ベルギーの旗  エディ・メルクス
1971  ベルギーの旗  エディ・メルクス
1972  ベルギーの旗  エディ・メルクス
1973  スペインの旗  ルイス・オカーニャ
1974  ベルギーの旗  エディ・メルクス
1975  フランスの旗  ベルナール・テブネ
1976  ベルギーの旗  ルシアン・バンインプ
1977  フランスの旗  ベルナール・テブネ
1978  フランスの旗  ベルナール・イノー
1979  フランスの旗  ベルナール・イノー

1980  オランダの旗  ヨープ・ズートメルク
1981  フランスの旗  ベルナール・イノー
1982  フランスの旗  ベルナール・イノー
1983  フランスの旗  ローラン・フィニョン
1984  フランスの旗  ローラン・フィニョン
1985  フランスの旗  ベルナール・イノー
1986  アメリカ合衆国の旗  グレッグ・レモン
1987  アイルランドの旗  ステファン・ロシュ
1988  スペインの旗  ペドロ・デルガド
1989  アメリカ合衆国の旗  グレッグ・レモン

1990  アメリカ合衆国の旗  グレッグ・レモン
1991  スペインの旗  ミゲル・インドゥライン
1992  スペインの旗  ミゲル・インドゥライン
1993  スペインの旗  ミゲル・インドゥライン
1994  スペインの旗  ミゲル・インドゥライン
1995  スペインの旗  ミゲル・インドゥライン
1996  デンマークの旗  ビャルヌ・リース
1997  ドイツの旗  ヤン・ウルリッヒ
1998  イタリアの旗  マルコ・パンターニ
1999  ×   空位

2000  ×   空位
2001  ×   空位
2002  ×   空位
2003  ×   空位
2004  ×   空位
2005  ×   空位
2006  スペインの旗  オスカル・ペレイロ
2007  スペインの旗  アルベルト・コンタドール
2008  スペインの旗  カルロス・サストレ
2009  スペインの旗  アルベルト・コンタドール

2010  ルクセンブルクの旗  アンディ・シュレク
2011  オーストラリアの旗  カデル・エヴァンス
2012  イギリスの旗  ブラッドリー・ウィギンス
2013  イギリスの旗  クリス・フルーム
2014  イタリアの旗  ヴィンチェンツォ・ニバリ
2015  イギリスの旗  クリス・フルーム
2016  イギリスの旗  クリス・フルーム
2017  イギリスの旗  クリス・フルーム
2018  イギリスの旗  ゲラント・トーマス
2019  コロンビアの旗  エガン・ベルナル

   










1909  イタリア王国の旗  ルイジ・ガンナ

1910  イタリア王国の旗  カルロ・ガレッティ
1911  イタリア王国の旗  カルロ・ガレッティ
1912  イタリア王国の旗  アタラチーム[注 1]
1913  イタリア王国の旗  カルロ・オリアーニ
1914  イタリア王国の旗  アルフォンソ・カルツォラーリ
1915  第一次世界大戦
1916  第一次世界大戦
1917  第一次世界大戦
1918  第一次世界大戦
1919  イタリア王国の旗  コスタンテ・ジラルデンゴ

1920  イタリア王国の旗  ガエターノ・ベローニ
1921  イタリア王国の旗  ジョバンニ・ブルネーロ
1922  イタリア王国の旗  ジョバンニ・ブルネーロ
1923  イタリア王国の旗  コスタンテ・ジラルデンゴ
1924  イタリア王国の旗  ジュゼッペ・エンリーチ
1925  イタリア王国の旗  アルフレッド・ビンダ
1926  イタリア王国の旗  ジョバンニ・ブルネーロ
1927  イタリア王国の旗  アルフレッド・ビンダ
1928  イタリア王国の旗  アルフレッド・ビンダ
1929  イタリア王国の旗  アルフレッド・ビンダ

1930  イタリア王国の旗  ルイジ・マルキジオ
1931  イタリア王国の旗  フランチェスコ・カムッソ
1932  イタリア王国の旗  アントニオ・ペゼンティ
1933  イタリア王国の旗  アルフレッド・ビンダ
1934  イタリア王国の旗  レアルコ・グエッラ
1935  イタリア王国の旗  ヴァスコ・ベルガマスキ
1936  イタリア王国の旗  ジーノ・バルタリ
1937  イタリア王国の旗  ジーノ・バルタリ
1938  イタリア王国の旗  ジョヴァンニ・ヴァレッティ
1939  イタリア王国の旗  ジョヴァンニ・ヴァレッティ

1940  イタリア王国の旗  ファウスト・コッピ
1941  第二次世界大戦
1942  第二次世界大戦
1943  第二次世界大戦
1944  第二次世界大戦
1945  第二次世界大戦
1946  イタリア王国の旗  ジーノ・バルタリ
1947  イタリアの旗  ファウスト・コッピ
1948  イタリアの旗  フィオレンツォ・マーニ
1949  イタリアの旗  ファウスト・コッピ

1950  スイスの旗  ユーゴ・コブレ
1951  イタリアの旗  フィオレンツォ・マーニ
1952  イタリアの旗  ファウスト・コッピ
1953  イタリアの旗  ファウスト・コッピ
1954  スイスの旗  カルロ・クレリーチ
1955  イタリアの旗  フィオレンツォ・マーニ
1956  ルクセンブルクの旗  シャルリー・ゴール
1957  イタリアの旗  ガストネ・ネンチーニ
1958  イタリアの旗  エルコーレ・バルディーニ
1959  ルクセンブルクの旗  シャルリー・ゴール

1960  フランスの旗  ジャック・アンクティル
1961  イタリアの旗  アルナルド・パンビアンコ
1962  イタリアの旗  フランコ・バルマミオン
1963  イタリアの旗  フランコ・バルマミオン
1964  フランスの旗  ジャック・アンクティル
1965  イタリアの旗  ヴィットリオ・アドルニ
1966  イタリアの旗  ジャンニ・モッタ
1967  イタリアの旗  フェリーチェ・ジモンディ
1968  ベルギーの旗  エディ・メルクス
1969  イタリアの旗  フェリーチェ・ジモンディ

1970  ベルギーの旗  エディ・メルクス
1971  スウェーデンの旗  イェスタ・ペーテルソン
1972  ベルギーの旗  エディ・メルクス
1973  ベルギーの旗  エディ・メルクス
1974  ベルギーの旗  エディ・メルクス
1975  イタリアの旗  ファウスト・ベルトリオ
1976  イタリアの旗  フェリーチェ・ジモンディ
1977  ベルギーの旗  ミシェル・ポランティエール
1978  ベルギーの旗  ヨハン・デミュインク
1979  イタリアの旗  ジュゼッペ・サローニ

1980  フランスの旗  ベルナール・イノー
1981  イタリアの旗  ジョヴァンニ・バッタリン
1982  フランスの旗  ベルナール・イノー
1983  イタリアの旗  ジュゼッペ・サローニ
1984  イタリアの旗  フランチェスコ・モゼール
1985  フランスの旗  ベルナール・イノー
1986  イタリアの旗  ロベルト・ヴィセンティーニ
1987  アイルランドの旗  ステファン・ロシュ
1988  アメリカ合衆国の旗  アンドリュー・ハンプステン
1989  フランスの旗  ローラン・フィニョン

1990  イタリアの旗  ジャンニ・ブーニョ
1991  イタリアの旗  フランコ・キオッチョーリ
1992  スペインの旗  ミゲル・インドゥライン
1993  スペインの旗  ミゲル・インドゥライン
1994  ロシアの旗  エフゲニー・ベルズィン
1995  スイスの旗  トニー・ロミンゲル
1996  ロシアの旗  パヴェル・トンコフ
1997  イタリアの旗  イヴァン・ゴッティ
1998  イタリアの旗  マルコ・パンターニ
1999  イタリアの旗  イヴァン・ゴッティ

2000  イタリアの旗  ステファノ・ガルゼッリ
2001  イタリアの旗  ジルベルト・シモーニ
2002  イタリアの旗  パオロ・サヴォルデッリ
2003  イタリアの旗  ジルベルト・シモーニ
2004  イタリアの旗  ダミアーノ・クネゴ
2005  イタリアの旗  パオロ・サヴォルデッリ
2006  イタリアの旗  イヴァン・バッソ
2007  イタリアの旗  ダニーロ・ディルーカ
2008  スペインの旗  アルベルト・コンタドール
2009  ロシアの旗  デニス・メンショフ

2010  イタリアの旗  イヴァン・バッソ
2011  イタリアの旗  ミケーレ・スカルポーニ
2012  カナダの旗  ライダー・ヘシェダル
2013  イタリアの旗  ヴィンチェンツォ・ニバリ
2014  コロンビアの旗  ナイロ・キンタナ
2015  スペインの旗  アルベルト・コンタドール
2016  イタリアの旗  ヴィンチェンツォ・ニバリ
2017  オランダの旗  トム・デュムラン
2018  イギリスの旗  クリス・フルーム
2019  エクアドルの旗  リチャル・カラパス

  1. ^ 第4回大会のみ総合優勝はカルロ・ガレッティジョヴァンニ・ミケレットエベラルド・パヴェージからなるチームに与えられた。
   

1990  イタリアの旗  マルコ・ジョヴァンネッティ
1991  スペインの旗  メルチョル・マウリ
1992  スイスの旗  トニー・ロミンゲル
1993  スイスの旗  トニー・ロミンゲル
1994  スイスの旗  トニー・ロミンゲル
1995  フランスの旗  ローラン・ジャラベール
1996  スイスの旗  アレックス・ツェーレ
1997  スイスの旗  アレックス・ツェーレ
1998  スペインの旗  アブラハム・オラーノ
1999  ドイツの旗  ヤン・ウルリッヒ

2000  スペインの旗  ロベルト・エラス
2001  スペインの旗  アンヘル・カセロ
2002  スペインの旗  アイトール・ゴンサレス
2003  スペインの旗  ロベルト・エラス
2004  スペインの旗  ロベルト・エラス
2005  スペインの旗  ロベルト・エラス
2006  カザフスタンの旗  アレクサンドル・ヴィノクロフ
2007  ロシアの旗  デニス・メンショフ
2008  スペインの旗  アルベルト・コンタドール
2009  スペインの旗  アレハンドロ・バルベルデ

  • 表示
  • 編集
典拠管理データベース ウィキデータを編集
全般
  • VIAF
  • WorldCat
国立図書館
  • アメリカ