ドニス・ド・ラ・パテリエール

Denys de La Patellière
ドニス・ド・ラ・パテリエール
本名 ドニス・デュボワ・ド・ラ・パテリエール
Denys Dubois de La Patellière
別名義 Denis de La Patellière
生年月日 (1921-03-08) 1921年3月8日
没年月日 (2013-07-21) 2013年7月21日(92歳没)
出生地 フランスの旗 フランスペイ・ド・ラ・ロワール地域圏ロワール=アトランティック県ナント
国籍 フランスの旗 フランス
職業 映画監督脚本家
ジャンル 映画テレビ映画
活動期間 1949年 -
活動内容 1949年 助監督をつとめる
1954年 脚本家デビュー
1955年 監督デビュー
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ドニス・ド・ラ・パテリエール(Denys de La Patellière、1921年3月8日 - 2013年7月21日)は、フランス映画監督脚本家である。本名はドニス・デュボワ・ド・ラ・パテリエール(Denys Dubois de La Patellière)。

人物・来歴

1921年(大正10年)3月8日、フランスのペイ・ド・ラ・ロワール地域圏ロワール=アトランティック県ナント、デュボワ・ド・ラ・パテリエール家に生まれる。

1945年(昭和20年)の第二次世界大戦終結後、助監督として映画界に入り、ジョルジュ・ランパンらに師事する。1954年(昭和29年)、レオ・ジョアノン監督の『聖職剥奪』の脚本を執筆し、脚本家としてデビューする。同作は、同年の第4回ベルリン国際映画祭で銅熊賞を受賞している。

1955年(昭和30年)、ミシェル・ド・サン=ピエールのアカデミー・フランセーズ賞受賞作『貴族たち』を映画化して、監督としてデビューした。ジャン・ギャバン作品を多く手がけた。

1990年代には、テレビ映画シリーズ『新・メグレ警視』のうち2作の脚本・監督を務めた。

おもなフィルモグラフィ

  • 『聖職剥奪』 Le Défroqué : 監督レオ・ジョアノン、1954年 - 脚本デビュー作
  • 『貴族たち』 Les Aristocrates : 1955年 - 監督デビュー作
  • 『非情』 Retour de manivelle : 1957年
  • 『大家族』 Les Grandes Familles : 1958年
  • 『子供たち』 Rue des prairies : 1959年
  • 『いまだ見ぬひと』 Les Yeux de l'amour : 1959年
  • 『港町』 Le Bateau d'Émile : 1962年
  • 『地獄の決死隊』 Un taxi pour Tobrouk : 1962年
  • マルコ・ポーロ大冒険La Fabuleuse Aventure de Marco Polo : 1964年
  • 皆殺しのバラードDu rififi à Paname : 1966年
  • 『刺青の男』 Le Tatoué  : 1968年
  • 『新・メグレ警視 セシルは死んだ』 Cécile est morte : テレビ映画シリーズ、1994年
  • 『新・メグレ警視 サン・フィアクル殺人事件』 L'Affaire Saint-Fiacre : テレビ映画シリーズ、1995年

関連事項

  • ジョルジュ・ランパン (en:Georges Lampin)
  • レオ・ジョアノン (fr:Léo Joannon)
  • ミシェル・ド・サン=ピエール (fr:Michel de Saint-Pierre)

外部リンク

  • Denys de La Patellière - IMDb(英語)
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